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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

三つの堂周辺物件

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 奥の院に行く前に、食堂や常行堂の横手(裏手)に行って見る。

 まずは鐘楼。鐘が剥き出しでなく壁に囲われたタイプのもの。

 鎌倉時代後期にできたものらしい。それはたしかに古いですね!

 

 さすがにこんな山中の釣鐘は、戦争中の「供出」対象にはならなかったのかも。よかった、よかった。滋賀県の木之本にある大地蔵菩薩さまでさえ、「供出」を要請されたらしいから、戦争は「信仰」の敵だね。

 そういえば酒豪揃いの高知のある村では、氏神様で熱心に戦勝祈願をしたのに負けてしまったので、村人がガッカリしたあまり「たいした神様じゃないから負けたんじゃ」と、鎮守のご神木を切り倒して高値で売り払い、村で酒盛りをした、という「伝説」?もあったっけ。神仏共に、戦争は信仰の敵だね。

 他にも法華堂とか、

 柏原家墓所とかを見る。

 大講堂と食堂の間を通って、奥の院へ。

 突き当たりの角に、ちいさな物件がある。なんだろう?

 これです、これです↓ 厳重に囲われた古井戸。

 ここで弁慶が子ども時代を過ごした(らしい)ので、弁慶ゆかりのものがいろいろと。

 僧侶の修行をしているといっても、ずいぶん腕白な子どもたちだったようで。大人たちはずいぶん手を焼いたのでは。それでも大人の手を焼かせるくらいならいいんだけど、まさかの伽藍焼失に発展するとは(大汗)

 

 でもまあ、「伝説」ですから。滋賀県にも弁慶にちなんだ伝説はあるし、義経と落ち延びた「みちのく」にも。有名人の弁慶はあちこちで伝説になっていて、お土産物屋さんのネタにされているみたい。千年後も、弁慶ブランドは人気なのである。