三つの堂周辺物件
まずは鐘楼。鐘が剥き出しでなく壁に囲われたタイプのもの。
鎌倉時代後期にできたものらしい。それはたしかに古いですね!
さすがにこんな山中の釣鐘は、戦争中の「供出」対象にはならなかったのかも。よかった、よかった。滋賀県の木之本にある大地蔵菩薩さまでさえ、「供出」を要請されたらしいから、戦争は「信仰」の敵だね。
そういえば酒豪揃いの高知のある村では、氏神様で熱心に戦勝祈願をしたのに負けてしまったので、村人がガッカリしたあまり「たいした神様じゃないから負けたんじゃ」と、鎮守のご神木を切り倒して高値で売り払い、村で酒盛りをした、という「伝説」?もあったっけ。神仏共に、戦争は信仰の敵だね。
他にも法華堂とか、
柏原家墓所とかを見る。
大講堂と食堂の間を通って、奥の院へ。
突き当たりの角に、ちいさな物件がある。なんだろう?
これです、これです↓ 厳重に囲われた古井戸。
ここで弁慶が子ども時代を過ごした(らしい)ので、弁慶ゆかりのものがいろいろと。
僧侶の修行をしているといっても、ずいぶん腕白な子どもたちだったようで。大人たちはずいぶん手を焼いたのでは。それでも大人の手を焼かせるくらいならいいんだけど、まさかの伽藍焼失に発展するとは(大汗)
でもまあ、「伝説」ですから。滋賀県にも弁慶にちなんだ伝説はあるし、義経と落ち延びた「みちのく」にも。有名人の弁慶はあちこちで伝説になっていて、お土産物屋さんのネタにされているみたい。千年後も、弁慶ブランドは人気なのである。