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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

境内で予定変更。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 仁王門をくぐってしばらく後に、三重塔がみえる。

 枝垂桜を近景に。

 紅葉の若葉越しに。

 わりあい簡素な相輪(そうりん)。

 本日の主役たちの楽屋であり待機場所か? 白い鼻緒の草履が大量に並んでいる様子は圧巻。

 はい、宝積寺に到着しました! 今回は楽勝でした。(前回の記事はこちら

 ここは天下分け目の天王山。もちろん宝積寺の山号は天王山だ。

 朱色の扁額に、銀の文字がカッコイイ。

 この枝垂桜は、

 京都の桜守、佐野氏の苗床を移植したものだとか。

 青紅葉をバックに、薄紅の枝垂桜が映える。

・・・おっと、今日は花見に来た訳じゃなかった。

 宝積寺は通称「宝寺」とも呼ばれている。聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから、そう呼ばれているそうだ。

 真言宗智山派の寺で、本尊は十一面観音。724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝える。

 ここも行基さまと縁の深いお寺なんだ。そのうえ、藤原定家夏目漱石が訪れた事があるという、歴史の厚みもある。豊臣秀吉などは、ここに本陣をおき、山城を作ったくらいだ。

 ご多分にもれず1232年に火災により焼失していて、現存する建物や仏像はそれ以降のもの。1606年に改築されたそうだ。その後も幕末の兵火や廃仏毀釈の嵐で、すっかり寂れてしまったらしいが、徐々に復興していったらしい。

 この赤茶色の瓦がのる建物は、大黒天を祀った「小槌宮」。

 本堂の前には出世石がある。豊臣秀吉が腰掛けた、というもので、その石の説明をされていた方が、老婦人のグループに「鬼だけじゃなくて、七福神もいますから。せっかくみえたのなら、ぜひ法要にご参加してください。無料でみられますよ」という言葉を小耳にはさんでしまった。

 私はもともと、本堂に結集する一同の入場行進をみてから、ダッシュで帰宅しようと思っていたのだけど、この言葉にグラッときてしまった。たしかに、めったにないようなタイミングで、せっかく日も合って来れたのだから、本堂に入ってみようか?

 そこで件の方に終了時間を訊くと、3時半くらい、という。山崎の駅までダッシュすれば、おばあちゃんのデイからの帰宅時間にギリギリ間に合う。

 ヨシ! いざ、本堂へ!