弁財天堂前にて
ついに、正面にはどかんと弁財天堂があらわれた。
しかし、この「どどーん」には、こんな裏話が。
明治時代の神仏分離により、明治8年より弁財天像は、塔頭の仮堂に仮安置されることになってしまった。昭和12年に、やっと弁財天堂の造営の起工式が行われたが、日中戦争が勃発し、事業は中止状態に。
しかし、この自体を憂慮した人物がいた。東京在住の事業家、滝冨太郎氏は、自ら再建局長として篤志を募り、巨万の私財を投じ、太平洋戦争中にもかかわらず、昭和17年、遂に完成に漕ぎ着ける。こんな篤志家がいらっしゃったとは!
内部を拝見したときには気づかなかったが、室内の壁には、法隆寺金堂壁画模写事業の主任画家を勤めた荒井寛方筆の飛天が舞っているとか。
こうしてめでたく弁天像の、素晴らしいお住まいができたわけだが、実は弁財天堂の前で私が興味津々だったのは、この石灯籠。
バラなのか、八重の椿なのか、これほど立体感を持っている花のモチーフって、珍しいかも。しかも下段の十二支の動物たちの、味わい深いことったら!
逆立ちする獅子の下には、性格の悪そうな目つきの憎めない動物たちが勢揃いだ。獅子も彼等を持て余しているご様子。
なんとも素朴で愛嬌のある造形だ。
このサルなんか、故・林家三平師匠の「どうもすいません〜」というポーズながら、目は一切反省なんかしていない。
その他、弁財天堂の前には、
棒術発祥の地の碑などもあり、なんだか楽しげである。
堂内には、江戸時代などに寄進された、彩色された大きな弁財天像がお祀りされていた。
お堂近くの風情のある苔むした石段は、どこへ続くのだろうとよくよく眺めたら、
入口に「公衆便所」という札が立ててあった(汗)