相国寺 その2
次は、重要文化財の法堂へ、
ぞろぞろと歩く一行。
法堂はハットウと読むらしい。もちろん建立当時ものは焼失している。
これは慶長10年(1605)、豊臣秀頼の寄進により、5回目の再建だ。
5回目の再建でも、国内での法堂建築では最古のもの。
次の目的地は、堂々たる鐘楼(しょうろう)、一名「洪音楼」(鐘は1629年の造立)でもなく、
きらびやかな弁天社でもなく、
かなり地味なお稲荷さま、「宗旦稲荷」。宗旦とは千利休の孫、千宗旦という茶人の名前だ。
ここには「宗旦狐」の故事が伝わっている。
江戸時代の初め頃、相国寺境内に一匹の白狐が住んでいた。その狐はしばしば茶人・千宗旦(1578−1658)に姿を変え、人々の前に姿を現していた。
宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびだった。
ある日、大事な茶会に宗旦は遅れてしまった。遅れた宗旦は、宗旦狐が相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露しているのを見る。驚いたことにその点前は実に見事なもので、宗旦は感じ入ったという。
その伝承のある「い神室(いしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられており、茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室より大きくなってしまったとのことだ。
そのような故事があるため、茶の湯上達を願う人々の参詣が絶えない場所なのだとか。
いつもながら、こういう故事やいわれを語るときの小嶋先生は、いかにも楽しそうだ。