本多家廟屋
以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。
「三つの堂」の入口横手、大講堂の東南の隅に、土塀で囲まれた物件。
姫路城城主・本多家の墓所、「本多家廟屋」だ。江戸時代以降のもの。
丸瓦は、本多家の家紋。「本多立ち葵」。
そのルーツは、京都賀茂神社の神草である「フタバアオイ」からといわれている。 本多家の先祖・中務光秀が、賀茂神社の社職であったことから、本多家の家紋に採用されたようだ。
廟屋五棟と本多忠刻らの墓碑が並んでいる。
お堂に入ったお墓って、初めて見ました! しかも山の上! 姫路城のお殿様は違うねー。とはいえ、姫路城のお殿様は、いろんな事情があり、いくつかの家系が出入りしているので、本多家が代々の姫路城城主というわけではないらしい。娶った姫君も家康の孫娘(一部信長の血族も)だったりして、格式の高い家柄だ。
五棟の廟屋は、江戸初期から中期にわたる廟屋の建築として県下でも例のない珍しいものだそうです。(兵庫県指定文化財) そりゃそうでしょうとも。