現代お守り事情
凶は、いえ、今日はひとりで京都におでかけ。メインは映画鑑賞だけど、それだけじゃあ、もったいない。
初めて行く映画館「京都みなみ会館」は、JR京都駅から近鉄に乗り換え、一駅の「東寺」で下車してすぐの場所。それならついでに東寺にも、行かなくちゃ!
東寺は数年前、子ども達と行ったことがある。やたらだだっぴろい境内で、さすが真言密教は弘法大師の総本山、と感心した。建物も仏像も、スケールが大きくて、「どど〜〜ん!!」という存在感。大迫力である。いかにも密教らしく宇宙的で、荘厳なスケールに圧倒される。でもだだっ広いところをやたら歩くので、とっても疲れた。
今回宝物館には入れなかったが、ひとりで徘徊する自由な見学は楽しかった。仏像の安置された建物に入る前に、いきなりお土産物やさんで物色を始め、没頭する私もどうかとおもうが、もっとどうかと思うのは、弘法大師の総本山で商売に血道を上げる土産売り場だったのだ。マスオさんが「えええ〜〜っ!?」と棒立ちになって驚愕しそうな、密教ネタグッズがてんこもりだ。密教をあざとく商品化するのもどうかと思いつつ、それらを見ているのはとても楽しかった。
三鈷杵のネクタイピン、曼荼羅クリアファイル、同行二人Tシャツ。思わず使用場所に困るようなマニアックなデザインの数々。ああ、楽しい。
しかし、それ以上に私を楽しませたのは、お守りだ。昨日がおみくじ話題で、今日はお守り話題になったのは不思議な偶然なのだが、これはもしかすると弘法大師さまのお導きかもしれない。
Kちゃんは受験生なので、試験合格のお守りを探していたが、そのカテゴリーは、なぜか空っぽだった。すでにシーズンはスタートしており売り切れているのか、シーズンオフだから入荷していないのかは、定かではない。
が、そのとき、膨大な種類の碁盤型のお守り仕切りの隅の方に、お守り売り場では、今まで全く見かけない文字を見つけたのが、そもそものお守りチェックの発端である。そこに書かれていたのは、
「トラウマ封じ」!!
トラウマ封じ、って!? 「私の持っているトラウマは・・・」というのは、会話のネタとして使用頻度の高いものなので、封じてしまってどうするのだ? 逆に封じたいほどのトラウマを持つ人に、そっとこんなお守りを渡したら激怒されそうである。「私のトラウマは、こんなもんじゃない〜!」と叫ばれそうだ。
単なるウケ狙いとも考えられるが、そうならお守りに虎と馬の絵が描かれている可能性も充分考えられる。ああ、もっとちゃんと見とけばよかった。
ウケ狙いとしか思えないお守りは、他にもある。「トラウマ封じ」があるなら、他にもぶっとんだお守りがあるに違いない、と踏んだ私は、しらみつぶしにチェックを開始した。
そして、やはり、なのである。あったあった、これってどうなの?なお守りの数々。では、いきます〜。
「ささやかな幸せ守り」
「なんかいいことある守り」
あまりにも現代を象徴している。というか、しすぎているのでは? 中途半端な「プチしあわせ」追求。
そして極めつけが
ここまでくると、もう意味不明である。
文字通り受け取れば、遠足や運動会の前日の子ども(とその母親や先生)のためのお守りなのか。布団干しを熱愛する主婦のためのお守りなのか。もっと普通に考えて、戸外で労働する人のためのお守りなのかもしれない。お守りのタイトルというより、もはや生き方指南や人生応援歌の本のタイトルのようである。
これって修学旅行で東寺に来る少年少女をターゲットにしたウケ狙いのお守りなのでは。そう考えると、すべてのナゾが氷解する。
そういえば、このとき(たぶん)関東方面からの2団体の修学旅行生と共に、東寺見学をすることになったのだが、それはまたの機会に。