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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

大覚寺

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大覚寺、正しくは、「旧嵯峨御所大覚寺門跡(きゅうさがごしょだいかくじもんぜき)」。

 代々天皇や皇族が住職をつとめた格式の高い門跡寺院である。上品で広々とした空間を持ち、年中お正月的な清々しさがあり、平安時代の香り漂う場所なので、お気に入りのお寺である。

 入口近くに並べられた生け花。御所の伝統を伝える嵯峨御流(ごりゅう)は、嵯峨天皇が大沢池の舟遊びの際に、菊ヶ島の野菊を瓶に挿したことに始まるという。

 洋間の大型画面にて画像を見ながら説明を聞く。そのあと「秩父宮御殿」見学。室内には入れないが、板張りと畳が半々になった廊下より、「御殿」の詳しい説明を聴く。

 特別公開の「秩父宮御殿」は、大正12年東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現在の国会前庭)に建てられ、後に大覚寺に貴賓館として下賜されたもの。8畳座敷と8畳次の間、10畳の間があり、書院造の建物内部は上品な色彩の花鳥の襖絵で飾られている。

 襖絵の草花は、いけばな嵯峨後流の本家本元だけあり、金箔の地に描かれた可憐で楚々とした可愛らしい草花だった。ゆかしくて好もしい花たちである。

 京都にみえた今上天皇はじめ、皇族の方々がご休憩される部屋でもある。畳敷きではあるが、絹張りのソファやテーブルのある洋室の調度が置かれていた。

 でもやっぱりこちらが特別公開とはいえ、むしろ私は雅びでいにしえの風が吹くような、一般公開のお寺の方に時間配分して欲しかったかも。

 宸殿。漆黒の漆とキンピカの金具の蔀度がカッコいい。

 金具にはお守り(防火、盗難除け?)のセミも。

 天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿の宸殿として使用していたもの。妻飾り、破風板、天井などに装飾がこらされている。廊下・広縁はすべてうぐいす張りとなっている。

 勅使門(ちょくしもん)

 嘉永年間(1848〜54)の再建。門は四脚門とし、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、金鍍金の飾り装飾を施している。

 宸殿(重文)や、正寝殿(重文)、御影堂、五大堂などが回廊で結ばれ、今も王朝の雅な雰囲気を漂わせている。回廊好きの私としては、もうちょっと滞在時間が欲しいところであった。

 回廊、「村雨(むらさめ)の廊下」。

 柱を驟雨に例えて言われ、回廊は各伽藍(宸殿、正寝殿、御影堂)を結んでいる。高欄付、床は鴬張りになっている。

 回廊は折れ曲げて付けられており、侵入者が直進できないようになっている。天井が低く造られているのも、刀を抜いた立ち回りができないようにしたためという。また、欄干部分はかつては取り外せたといい、非常時には武器として使われた。

 正寝殿の腰障子に描かれた渡辺始興の「野兎図」。

 一見可愛らしい図なのだが、よく見るとウサギのまんまる目玉がなかなかに不気味だったりする。そこがキッチュで面白くて、しかも重文。これを「よし」とするなんて、さすがはやんごとないお方である。器が大きいわー!

 お庭は緑にあふれているけれど、光はやはり秋めいていた。

 まもなくのお月見に似合うススキも。

 玄武の方向である北を守る亀。凛々しい。

 安井堂天井雲龍図(やすいどうてんじょううんりゅうず)。京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、明治4年(1871)に移築。

 堂内部は、内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれている。目を見張る吉兆模様や仏具の数々が、天井の格子のなかに描かれていた。しばし、見とれる。

 ダッシュでお土産売り場で「野兎図」のカードケースを買い、セーフでバスに戻る。前に来た時は、「野兎図」の筆ペンを買ったっけな。来るたび「野兎」グッズが増えて行くかも。やんごとないお方に負けず、キッチュなモノが好きなのだ。