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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

法住寺にて待機。

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 先日行った「血天井」の立て札のあった「養源院」の、まさに隣が「法住寺」だった。静謐な養源院の構え。

 ひきかえ、賑やかな幟がはためく「法住寺」門前。

 ここは、親鸞上人自作と伝えられる「親鸞上人そば喰い木造」が有名らしい。

 比叡山で修行僧だったころ「親鸞」は、まだ「範宴」という号だった。彼が従来の教義に疑問を持ち、こっそり下山して夜な夜な六角堂に籠っていたが、彼が下山して女遊びをしているというウワサが流れた。

 ウワサの真相を確かめるべく、師の和尚が抜き打ちで夜間に点呼をしたら、「ハイ」と返事をしたばかりか、皆にふるまった蕎麦も食べたそうだ。

 明け方帰って来た本人をみて、「範宴がふたりいる!」と弟子たちが大騒ぎに。すると彼の木像の口のそばに、蕎麦がついていたという・・・。まるでパーマンコピーロボットじゃあないですかあ。比叡山の都市伝説ならぬ北嶺伝説ですね。

 これは見とかないと! とチェックしていたのに・・・しっかり見落としました(悲)

 むろん後白河上皇の御陵もお守りしているのだけど、そしてそっちがメインのはずなんだけど・・・なぜかちいさい。親鸞上人ほどには人気ないのか、後白河さん?

 でも、このお寺のメインは、後白河上皇を身代わりとなって守った「身代わり不動尊」なので、この白い手書きを筆頭に、幟はいっぱい。

 門の屋根瓦もユニーク。まさか天皇になるとは誰も思わなかった気楽さもあり、少年時代は不良だったという後白河さんらしい。和歌は苦手だったけど、今様(当時のJポップとかラップ?)は大好き、という人柄ゆえか。作られたのは、当然平安より後の時代なんだろうけど、それにしても。

 この鬼瓦には、笑うしかないだろう。

 火焔宝珠なんて、瓦にはどうみても不向きな、凝ったものを!

 門の下の出店??で、福豆付きお札や護摩木を買ったり、住職手づくりの不動尊の絵入りカレンダー(1枚もの)を眺めたりしていると、前触れもなく、臈長けたお方が登場。

 そこの外国の方! 太夫さんは、日本人でもなかなかお目にかかれないんですよ! 会話できるなんて、ラッキーすぎます!!

 もう場の空気が一変するような、はんなり感。もちろんキレイなんですが、「匂いたつような」という形容がつく美しさや気品に、呆然。女優さんとかの美しさとは、全く違って、幸福感が漂う空気を醸し出すオーラというか。これは男女の差なく、ノックアウトですね。

 いやー、法住寺の節分会にして、本当によかった! 眼福とは、まさにこのこと。